アメリカでデザインして日本で作ったともだちトート
えんとてんの前身、Studio KotoKotoの2周年を記念して、日米合作でうまれたトートバッグ。メイン州で活動する陶芸家のアユミホリエがデザインしました。

アメリカで熱狂的なファンがいるアユミのかわいい動物たちが描かれた作品は、年に数回のオンライン販売では30分ほどで100点以上完売してしまうほど大人気です。そんな彼女がともだちトートのために描いてくれたのは、仲良しのうさぎとヒキガエルが牡丹の夢と息を分かち合っている姿。日米のフォークアートと漫画に影響を受けたというアユミのユーモラスな説明によると「うさぎもかえるも跳ねるでしょ、だからともだちなの。ともだちは似てるところがあるから」とのこと。

トートの形や手紐の長さは、使い心地と耐久性にこだわりました。スーパーでのお買い物で汚れても洗濯機で丸洗いができる丈夫なトートバッグです。
底は円型で、沢山お買い物をした時はバケツ型に、肩から掛けた時は体にフィットするシルエットになっています。内側のポケットには貴重品や携帯などが収納でき、バッグのくちがひらかないように片手で外せる留め金付きです。

帆布:尾道帆布
日本でトートを作るからには材料も日本で作られている帆布を探そう!と本州を北から南まで探した結果、尾道の帆布屋さんを探し出しました。

広島県にある株式会社尾道帆布は今年で創業80年になる帆布工場です。1900年代初期の瀬戸内海は、石炭を九州から大阪に輸送するためにたくさんの帆掛け船が行き来していました。尾道帆布は5年に一度ほど新調しなければならないその帆掛け舟の帆を提供する会社として始まりました。

その後、船の動力は帆からエンジンに変わりましたが、戦後の日本では田舎で採れた農産物を都市部へ運ぶトラックのカバーとして、帆布は沢山の需要がありました。通気性があって水を吸収する自然素材は農産物輸送に最適だったのです。

1960年代になると帆布は化学繊維に押されて下火になります。社長の高橋さんのお話では、当時と比べて生産規模は大分小さくなり、現在は5人の従業員で営業されているそうです。
今回、尾道帆布さんを訪れる事ができて大変光栄でした。尾道の町には工房尾道帆布というお店があって、地元のNPO法人の方達が素敵なバッグを作って販売しています。自然素材がもっと見直されて、これからも尾道のシンボルとして尾道帆布さんには営業を続けていって欲しいと願っています。
制作:小薮工芸
小薮工芸さんは愛知県知多半島に拠点を置く、ちいさな鞄工場です。日本で売られているほとんどの鞄が外国製という厳しい環境の中、小薮工芸はその高度な技術によって現在も国内外で頼られている職人一家です。

ともだちトートを試作している段階で、一番の問題となったのが手紐の複雑なステッチでした。厚手の帆布トートには通常白い糸で目立たないようにステッチを入れるのですが、あえて色のついた糸を使って複雑な縫い目があるデザインなので、小薮工芸さんの技術があってこそ完成したともだちトートバッグでした。

現社長の小藪さんは先代のお父様が故郷を離れて東京で設立した鞄工場を引き継いだ際、家族の故郷である美しい知多半島に工場を戻したそうです。故郷に帰る事は育ち盛りの家族にとって理想的な決断だったでしょうし、現在は地元の熟練した多くの女性たちに仕事を提供する場所としても大事な役割を果たされています。

初めての日米合作プロジェクト、ともだちトートの制作を通じて、物作りが繋げて行く伝統の大切さを再確認できました。様々な場所や物が均質的になっている現代でも、少数の人の持つ特別な技術によって地域のアイデンティティーや結束が強くなるということもです。
出来上がったともだちトートからフォークアートや漫画の伝統、寒さや雨にも負けず瀬戸内海を旅した帆掛け船の精神や、代々受け継がれる美しく丈夫な物を作るための知識を感じてもらえることを願っています。
